2009年10月27日火曜日

南アフリカレポート1



南アフリカ~


アパルトヘイト


何でこんな理不尽な政策まかり通っちゃったんだろう~


肌が黒いか白いかなんて


考えてみたら


目が二重か一重かの違いと変わんないのに


肌の色で人種~人の種類を作っちゃった人間~

黒人は差別され差別され差別され~

起こったひとつの暴動がアパルトヘイトの終わりへと向かう兆しとなった。

その主役は学生。

私が南アフリカ2日目に行ったソウェトが舞台・・・


南アフリカに住む白人は黒人達が通う学校で

自分達の言葉アフリカーンス語で授業をするように強制した。

南アフリカのもともとの言葉ではなく白人達が使う言葉で。

アフリカの黒人たちには何一つ権利はなかったのに言葉までも奪ってしますのか~

学生達は怒った。

だから平和的な解決を強調した上でボイコットに出たのだ。

1976年4月30日 ソウェトのオーランドウェスト小学校の子ども達がストライキをしたのをきっかけに
この波長は他校にも広まる。

そして6月16日 学生達は意見を聞いてほしいと黒人学生1万人のデモ行進を行った。

それに対し300人の警察隊は催涙ガスなどで鎮圧しようとした。

その時の話を現地で聞いたのだが

子ども達は怒りと悲しみでいっぱいになって訴える姿は

子どもの姿でありながら恐ろしく近寄れないほどであったと言う。

そして一人の白人男性の警察官がピストルの引き金を引いた。

写真に写っている抱きかかえられている子ども13歳ヘクター・ピーターソン。

たった13歳の子どもの命が

ガスを投げられながらも

不平等を訴え

無残にも殺された。

その周りにいる子ども達がピーターソンを抱えながら

また訴える。

子どもが撃たれた・・・

こんな世の中間違ってる


銃で撃たれたことに子ども達はパニックになったため

警察官は鎮圧させようと暴力はますますエスカレートしていった。

警察官は無差別に殺していった。

そして更に抗議者は増えていった。

暴力からは憎しみしか生まれないんだって思う。

病院は血まみれの子ども達でいっぱいになる。

ほとんどが銃弾傷を受けていた。

翌日更なる武器を持ち軍事力を見せびらかしながら威嚇する

警察官。

死者176人 負傷者1139人 逮捕者1298人

悪いのはどっちなんだよ。

って凄く苦しくなった。

2 件のコメント:

Kirk Masden さんのコメント...

ありがとう。これをベースに卒論へと発展していけると思います。南アフリカに行ったのはいつですか?自分の体験と本などからの知識を組み合わせるといいと思います。今回は体験談ではなく、本などに載っていそうな事柄ですよね。論文で書くなら、出典などを明記したり背景や経緯をより詳しく書けばいいと思います。頑張ってください。

sabae さんのコメント...

夏はあんなに頑張ってたからね!本当に良い体験をしてきたんだなって素直に思います。卒論に活用できるといいですね。